現地・現場レポート

ハッピーライナー(株式会社サンプラザ 高知県高知市)


1.はじめに


高度成長期まで、当たり前だった移動販売



ハッピーライナーのレポートをお届けする前に、筆者の経験から、移動販売がいまなぜ求められるのか考えてみたい。少々お付き合いください。

リヤカー.gif蒲鉾形状の荷台、鮮やかなスカイブルーが記憶に残っている世代にもよるが、食料品の移動販売と聞くと、中高年以上には懐かしい響きが感じられるようだ。筆者も記憶がある。実家では勤め人だった母親に代わり、主婦業は祖母の仕事であった。
1960年代、近隣にスーパーのような業態はなく、子供の自分が買い物の手伝いを命じられるのは、ほとんど魚屋、肉屋へのお遣いであった(自分の小遣いで行くのは雑貨屋である)。では他の食材はというと、ほとんどが移動販売車に求めていた。

男女年代は定かではないが、売り子が一人、毎朝パ〜フ〜と小型のラッパであろうか、間の抜けたメロディを繰り返しながら、荷台部分にタンクローリーのタンク部分のような蒲鉾状の収納を造作させ、鮮やかなスカイブルーに塗装したでリヤカー改造の人力移動販売車をゆっくりとした足取りで引っ張りながら町内を巡っていく。お得意さまの家の前では、2、3度郷愁のラッパを鳴らして、誰も出てこないことを確認してから、隣宅に移動する。蒲鉾のような収納の蓋を開けると、そこは数段の陳列棚にさまざまな食料品が比較的整然と並べられていたように憶えている。豆腐屋は実家の向かい3軒隣にあったから、豆腐専売ではなかったはずだが、どうやら例の音からして、豆腐の移動販売用の「豆腐ラッパ」が使われていたようだ。このあたりの記憶は曖昧だが、朝から聞かされた郷愁のラッパ音は今でも耳に残っている。祖母は豆腐と蒲鉾、タマゴを常に買い求めていたような気がする(それがたいてい朝食のレシピーに使われる)。

野菜の行商も見慣れた光景


ラッパ音が小さくなり、やがてあたりが生活雑音に包まれると、今度は農家の行商がやっている。「今日はどうかね〜」と、玄関口で大きな声で呼びかける。たいてい日に焼けた元気一杯のおばあさんで、恐らく自分の祖母と同世代だったのだろうが、声の艶や身のこなしはたいへん若々しかったことに驚愕していた(そのパワーは恐いほどであった)。売り物はもちろん野菜で、声をかけられてからのんびりと対応に出る祖母の口癖は、「今日は何が安いのかね?」。そう言うと、もちろん方言丸出しのおばさんは「今日はなあ、大根がやしー(安い)で」等と奥の家まで聞こえそうなボリュームで応えるわけだから、隣家などは祖母が何を買っているのか、耳をすませばだいたいわかるというもの。この点、世間体を異様に気にしていた祖母には、安いものばかり買っていることが筒抜けで苦痛はなかったのだろうか?とにかく3人家族の消費量からして毎日とはいかないが、購入には寛容であった。

この他、週に1度は、リヤカーを連接して大量の積載を可能にした薪屋がやってきていた。お風呂をわかす燃料が、当時は薪であり、自宅で出た生活ゴミと一緒に燃やす。時代劇でしか見られない五右衛門風呂を沸かすのが、子供にとって大事な家事手伝いでもあった。

これらの移動販売で、少なくとも自分が家を出て上京するまで、回数は減ったがやってきていたのは農家の行商の元気なおばあさんだった。例によっていつも「今日はいらんかね〜」という大きな声を響かせていたが、自分の成長に伴い、おばあさんもいつしかおばあさんらしくなっていた。東京でも京成電鉄の野菜行商専用列車が1日1本に縮小されたのが1982年(昭和57年)、同じ頃だろう、大学の長い夏休みで帰省していた間に、その声はついぞ聞くことはなかった。後日、祖母に聞くと「○○さんも歳をとって体を壊した」と寂しがる一方で「あんな商売をしなくても畑がいっぱいあって食うには困っていない」等とシニカルな評価も聞かせてくれたものである。

モータリゼーションとスーパーマーケット


移動販売が日常から消えていったのは、1970年代になって近所にスーパーマーケットが開店したころである。第1号店は開店後数年で火事を起こしたからよく憶えている。既に、急速なモータリゼーションで、近所の家も続々とガレージスペースが作られ、比例して道路にクルマがどんどん増えて、以前のようにのんびりとは歩けなくなった。90年代になるとスーパーが複数開店、さらにコンビニエンスストアも登場した。祖母はスーパーマーケットの開店に合わせるように、「スーパーでの買い物」が日課になっていた。それまで決して食卓に上ることのなかったカップ麺類の類いが、当たり前のように出現するようになったのも、種類を選べるスーパーでの買い物の影響だと考えられる(なぜか某大手メーカーのカップうどんが大好きで多数を買いだめ、おやつに食していたらしい)。結局、足腰の強かった祖母は、他界する90歳まで、女性は買い物好きであることを証明し続けてくれたのである。

祖母の他界後、母の独居にはあまりに広すぎた(建設時は2世代8人の暮らしでスタートした)実家は、戦前の建築で老朽化が進み、またセキュリティの問題もあって、同一市内の丘陵地帯に開発された新しい住宅地のマンションに移ることになった。それまでの徒歩で駅まで歩けるという利便性はないが、デベロッパーがまちづくりとして開発しただけに街区のデザイン等は見事に整理され、小・中学校隣接、市内を一望できるといった環境で住宅の一次取得層を中心に人気を集めた新興住宅街である。

起きてから痛感する、高齢による不自由


新しい家の生活も10年を過ぎようとしたころ、何不自由なく過ごしていた母は、加齢には逆らえず心臓疾患、骨粗しょう症の悪化、白内障と次々に体調を落としてしまう。自宅内を歩行する体力はあるが、丘の上の住宅=坂道を上り下りしなければならない地理条件から、外出は決死の覚悟が必要となった。
住居専用の用途指定から商業施設が一軒もない(建てられない)環境での生活は、クルマを前提に成立している。よって歩行する体力もクルマもない母のような高齢者が、自力で外出するには、マンションの玄関まで送迎してくれるタクシーに依存せざるをえない。引っ越してきた元気な頃は、本人も家族も思いもしなかった事態であった。特にこの物件を強く奨めた私は、強い自責の念に駆られている。どうして将来のリスクを考えられなかったのか、他にも病院の近所に建設された物件があったはずだ。なんてことだ!(母はここの環境が気にいって決めたのは自分だから、と慰めてくれるが)

まして、腰を痛めて歩行がさらに困難になった今、通院は自室まで送迎のある福祉タクシーを利用する。日頃の掃除や料理は週2回のヘルパーに頼めるが、買い物はすべて生協の宅配、あるいは食材宅配サービスに依存している。
発注もたいへんで、インターネット利用など、携帯電話を使いこなせないスキルでは夢のまた夢である。それに大都市と違って通販事業者が限られている。我慢、高コスト生活を余儀なくされるのである。
母に限らず収入が限られた高齢者世帯にとって、厳しい毎日が続いている。申し訳ないと思う。新聞の安売りチラシを比較できても、自分の力だけで買い物に行けない。いつの間にか、母や新聞の購入をやめてしまい、テレビが唯一の接触メディアとなってしまった。

必要に迫られなければ、わからない「不自由」


買い物をしたいができない。自由にならない。そんな母に、この移動販売車「ハッピーライナー」の話をしてみた。最初に出たのが、前述の蒲鉾型の移動販売リヤカーの思い出である。困っている当事者として、たいへん魅力的に聞こえたのであろう。どうしてこの町にはそんなサービスがないのだろうか、行政は何か支援するような取り組みをしていないのだろうか。矢継ぎ早に聞いてくるが、“買い物難民”の取材で現実を知った自分は、母が満足できる、将来の安心や期待を伝えられるような答えを持っておらず、窮するばかりであった。

いま、10年前の自分と同じように、買い物や移動に不自由のイメージをまったく感じられない、あるいは悲観しなくてもよい、もちろん意識していないご家庭も狭い日本とはいえたくさんいらっしゃると思う。しかしバリアフリー法の運用などから、漠然ではあるが加齢を重ねた家族の将来に不安を持つ瞬間もあるはずだ。
買い物難民の解消は、その痛みにすぐ処方箋が必要な人と、症状は進行しているのに他人事で済まされる(している)人、そもそも無縁な人の間で、今後の対応の方向性を共有することから始まる。まずは個人、家族が、現状に満足せず将来を、隣家を、友人を、困っている高齢世帯に思いを寄せてほしい。

市場原理に追随するのか、共生を目指すのか


既に地方の中山間地域で稼働し、実績のあるハッピーライナーのような移動販売が、なぜ各地に広がらないのだろうか。その要因はひとつ。企業の経営哲学を別にすれば、尽きるところ「儲かるか儲からないのか」に集約できる。ハッピーライナーも一時期、撤退の可能性もあったという。幸い、儲からなくても地域貢献等を含めてやれるところまでやるという経営判断と行政の支援が加わって今日まで事業が続いてきた。それでも、商圏の高齢化・縮小が急速に進む状況で、収支を追求すれば、今後はどうなるのか。実際にハッピーライナーに同乗、訪れた集落で買い物を楽しむお客さまを見ると、ほとんどが高齢者である。これはもうビジネス云々ではなく、国民の基本的な生活に対する政治的国家的課題であると痛感する。つまり地方・地域の今後は、中央集権・市場原理主義的な現状を維持するのか、セーフティネットを重視する共生的な政策を選ぶのか、政治的選択権を持つ国民=生活者の意思に帰趨する。

だから、みなさんには現実を知って欲しい。田舎暮らしの現実を見て欲しい。高度成長期に出現した郊外大規模団地内に出現した空き店舗を数えて欲しい。消費したくてもできない、生活が閉ざされる危機を知って、判断してもらいたい。



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