コラム・メッセージ
第2回
心配な都会暮らし高齢者世帯
〜健康維持と移動の自由が生命線〜(1/3)
人口増の中心地域近郊でもバス便は少ない。
土・日は7〜19時の利用に限られる。(ちなみにノンステップバスの運転はない)買い物弱者が生まれてしまうのは、本人の家庭事情や健康状態ばかりでなく、まちの変化が弱者化を進行させている状況もある。衰退したまちでは、公共交通も衰退する。数万人規模の都市までなら、まちぐるみの対策、例えばデマンド交通を整備などに期待できそうだが、問題は人口十万以上の中規模都市である。この規模だと経済性が優先されてしまい、弱者は忍耐が必要になる。都市内の市街地域なのにバスが1日3便しか走らないような状況が生まれている。自らの健脚以外の「足」には期待できない。
以下は身内ネタで恐縮だが、筆者の母親をケースに、足の喪失がどのように買い物弱者を生んでしまうのかを紹介する。人口規模が減少しているとはいえ、コミュニティに絆が通っているような過疎地域の生活者よりも、実は中途半端に大都市化してコミュニティレスに陥っている中都市内における高齢世帯の方が、「買い物難民度」は深刻であるという現実である。人間関係なくして、宅配もネットスーパーもこの問題解決の決定打にはなりえないのである。
衰退する、駐車環境に劣る伝統的住宅地
実家があるのは地方のある県庁所在都市(A市と仮称する)である。元々は小さな城下町だったが、戦後は新産業都市を標榜、臨海工業都市化を進めて、70年代には人口も急増。3線が交わる県内最大規模のJR駅前北側にアーケード商店街をはじめ百貨店、行政施設、銀行等が集積、周辺に住宅地が広がっている。このあたりが幕藩以来の伝統的な市街であり、一級河川の堆積で作られた平野である。80年代から90年代にかけて道路整備が進むと、時の行政者の大型プロジェクト志向もあって、人口増の受け皿は旧市街から周辺の新興地に移っていく。
築50年が経過して建築物として限界を迎えていた我が家も、それまでの伝統的な市街地から、丘陵を造成して再開発した住宅団地に建てられたマンションに転居した。ちょうど2000年のことであった。実はこの当時、伝統的な市街地にあった旧実家の周辺は、住宅地としてのポテンシャルが急速に低下していた。それは、世帯主の代替わりと、駐車場を敷地内に自由に確保できない道路環境から、移動の利便性とにぎわいを求めて、代替わりや子供の誕生とともに、筆者のように郊外への移転が相次いだためである。
結果的に残ったのは、クルマを2台以上駐車できる広い敷地を有する世帯と、クルマを使わない高齢者世帯である。景観的には、老朽化した戸建住宅と改築・新築した現代的な家屋、そして空き地、駐車場がほとんどで、子供の声がほとんど聞こえてこない町になってしまった。今でもこの傾向は続いている。道路計画によれば、なんとコミュニティを分断する形で幹線系の動線を整備しようというわけだから。