コラム・メッセージ
第2回
心配な都会暮らし高齢者世帯
〜健康維持と移動の自由が生命線〜(3/3)
モータリーゼーションに取り残される
旧市街、伝統的な中心商店街は、近隣に大規模駐車場を用意することは容易ではない。このため軽自動車なら出入りは楽だがミニバンだと厳しいような、規模の小さい時間駐車場が中心になる。大規模商業施設なら当初から駐車場を設計するが、都心地区は用地がないために建設は容積をかせぐしかない。つまり建物そのもののスクラップ&ビルドを実施しない限り駐車場問題は解消しない。実際、中心商店街最大の商業施設である百貨店が駐車棟を建設したのは、別館の位置づけで新たなビルを建設したタイミングであった(3ナンバーの大型車も楽に駐車できる余裕があり、休日は常に混雑する)。
すでにクルマでの来店客にフォーカスしたセールスプロモーションが必至な時代になっていた。しかし中心商店街は対応が難しく、広域で次々にオープンする郊外型商業集積にお客を奪われていった。これは地方都市共通の社会動向でもあった。
小売から飲食への業態転換
郊外の開発は丘陵を切り取って進むことが多い。
写真よりも急な坂道が分譲住宅地頂上まで続く。
「こま武蔵台」と寸分変わらぬ開発景観である。大型スーパーの撤退とともに、中心商店街の変貌が進んだ。小売業から飲食業に転換する店が目に付くようになった。実はA市の“夜の歓楽街”は中心商店街と連続する場所に存在する。それまで昼のにぎわいを商売にしていたところが、夜の需要も取り込んでいこうという試みである。ただし成功したところは少ないだろう。夜の繁華街は集積しているところに魅力があるからで、ただ深夜まで営業している店がぽつんとあるだけではお客を呼べない。
2001年、祖母は逝去してことで母親は老朽した広い戸建て住宅に独居を余儀なくされる。当時から老人を狙った詐欺的な訪問営業への対応、阪神・淡路大震災に見る防災の必要性を痛感していた母親は、家を売却して高齢者独居でも安心できる環境に引っ越すことを決意・ちょうど同じように戸建ての実家を売却してマンション暮らしを始めていた仲の良い従姉妹たちの推奨もあって、旧市街の端に相当する地域、筆者の子供時代はミカンの山で、80年代に始まった造成により誕生した大規模住宅地に隣接して新たに開発された場所の物件を購入。ちょうど山の上にそびえるようなマンションで、窓からはA市が一望できるグッドロケーションがある。母も筆者もエキサイティングな瞬間であったが、この「山の上に相当する」立地が、8年後に大きな生活障壁になろうとは夢にも思っていなかった。(続く)